※2015年03月08日修正
※2015年1月31日追加修正しました。
こんにちは、コシャリです。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
今年から始まった外語大の日本史ですが、
過去問がないですよね。
もし、
僕の生徒が日本史で受けると言ったら、
絶対にやめておけと言います。
データ=過去問がないので。
しかし、、、
日本史が好きで好きでしょうがなかったり、
あるいは、中学受験を経験していたりすると、
日本史で受けたいという人もいるかもしれません。
そこで、今回は、
しておきたいと思います。
解答を羅列すると
問1 | ケンペルの著作は? | 日本誌 |
問2 | ケンペルの著作の翻訳者は? | 志筑忠雄 |
問3 | 1837年の日本の漂流民を連れたアメリカ船が浦賀で砲撃された事件の名は? | モリソン号事件 |
問4 | 新井白石の長崎貿易の制限令の名は? | 海舶互市新例 |
問5 | 1820年代に長崎で日本人学生に塾を開くことが許されたのは? | シーボルト |
問6 | 杉田玄白と前野良沢の翻訳で、日本初の西洋解剖書の日本語名は? | 解体新書 |
問7 | 大浦天主堂 浦上信徒弾圧事件 五榜の掲示 切支丹禁制高札の語句を使って、キリスト教が事実上解禁されていく過程を200字以内で説明すると? |
問7
1859 年、開港場居留地内で外国人の信仰の自由が認められ、長崎に大浦天主堂が建てられた。1867 年、ここに隠れキリシタンが名乗り出、以後信仰を公然と表した。しかし、明治政府は五榜の掲示で依然としてキリスト教を禁止していたため、キリシタンとして浦上村民を検挙・配流するという浦上信徒弾圧事件が起きた。こ
れに対し、列強から抗議が行われたため、1873 年、切支丹禁制高札が廃止され、キリスト教が黙認された。(200 字)
問1 | 渡良瀬川、桐生、足利、鉱毒、社会問題の名は? | 足尾鉱毒事件 |
問2 | 問1の文章を書いたのは? | 田中正造 |
問3 | 桐生、足利で19世紀以来盛んな産業は? | 絹織物業 |
問4 | 松隈内閣の総理大臣は? | 松方正義 |
問5 | 前後から、入るのは? | 生命、権利、財産 |
問6 | 足尾銅山の鉱業主って誰? | 古川市兵衛、(古川財閥) |
問7 | 鉱毒 遊水地 公害 洪水 谷中村の語句を使って、足尾銅山鉱毒事件の原因と被害地の対応及び政府の対策について300字で説明せよ。 |
問7
渡良瀬川上流にある足尾銅山から流れ出た鉱業廃液は流域一帯を汚染し、農業や漁業に大きな被害をもたらした。洪水により被害は拡大し、被害地村民は鉱
毒問題の解決を訴え、政府に陳情を繰り返した。地元選出の衆議院議員田中正造は、議会で政府に銅山の操業停止を訴え、さらに明治天皇へ直訴を試みたが
成功しなかった。一方、政府が銅山に命じた鉱毒対策は効果がなく、洪水対策として下流にあった谷中村を遊水池にする解決策が打ち出された。田中正造は
村民とともに反対運動を行ったが、結局、谷中村は廃村を余儀なくされた。足尾鉱毒事件は、近代日本における初期の公害事件であった。(274 字)(20 点)
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