斉の景公が政治の重要ポイントを孔子に質問した。
孔子は「君主は君主らしく、(君主として当然の行為を)表し、
臣下は臣下らしく(臣下として当然の行為を)表し、父は父らしく、子は子らしく、
その名にふさわしい行為をすることです」と、お答えした。
景公は喜んで「(そなた=孔子は)善いことを言うな。本当に、もし君主が君主らしくなく、
臣下が臣下らしくなく、父が父らしくなく、子が子らしくなかったならば、
(国に)十分な穀物があったとしても、
私は(安心して)これ(=穀物)を食べることができないではないか」とおっしゃった。
背景
当時、斉では、大夫(家老)の陳氏が調子に乗っていて、
君主である自分=景公をさしおいてブイブイ言わせていた。
また、景公自身も多数の夫人を寵愛していたので、(お盛んだったんだね!)
誰を太子=後継者にするかについて揉めていたんですね。
(奥さんは自分の子供が後取りになったら偉そうに出来るもんね!)
こんな状態じゃ安心して飯も食えないぜ!ってことだね。
例えば景公がAを後継者にしようとしたら、
Bの母が景公の飯に毒を入れたりするかも?
なんて考えながら安心して飯を食えるだろうか、いや、食えない。
顔淵曰わく、其の目を請い問う、と。
子曰わく、非礼は視ること勿れ、非礼は聴くこと勿れ、
非礼は言うこと勿れ、非礼は動くこと勿れ、と。
顔淵曰わく、回不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん、と。
顔淵が、仁とはどういうことかと(孔子に)質問した。
孔子は、自分(の欲望)に打ち克って礼(社会の規範)に従った行動をすることが仁である。
もし、人が一日でも自分(の欲望)に打ち克って、礼(社会の規範)に則した行動をし、
仁を行うことができれば、天下人々が皆仁徳に向かい、世界が仁徳で満たされ落ち着くだろう。
自分に打ち克って礼に従った行いをすることは、
自分自身の力でできるのであり、他人の力によってできるものではない。と
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「天の下に道有り。丘ために易えず」ー論語のどこにありますか。読み方、意味を教えてください。