麓に一つの柴の庵あり。すなはち、この山守(やまもり)がを(居)る所なり。かしこに、小童(こわらわ)あり。ときどき(時々)来たりて、あひ訪ふ(とぶらふ)。もし、(1)つれづれなる時は、これを友として、遊行す。かれは十歳、これは六十、その齡(よわい)ことのほか(外)なれど、心をなぐさ(慰)むること、これ同じ。ある(或)いは茅花(つばな)を抜き、岩梨を採り、零余子(ぬかご)をも(盛)り、芹(せり)を摘む。あるいは裾廻(すそわ)の田居(たい)に至りて、落ち穂を拾ひて、穂組(ほぐみ)をつくる。もし、うららかなれば、峰によぢのぼりて、はる(遥)かに故郷(ふるさと)の空を望み、木幡山(こはたやま)・伏見の里・鳥羽・羽束師(はつかし)を見る。(2)勝地は主なければ、心をなぐさ(慰)むるにさは(障)りなし。歩み煩ひなく、志遠くいたる時は、これより峰つづき、炭山を越え、笠取を過ぎて、あるいは石間(いはま)に詣で、あるいは石山を拝む。
(1)つれづれなる時の意味は?
何もすることがない時
「つれづれなり=何もすることがなく手持ち無沙汰だ」を暗記しておこう
(2)勝地は主なければ、心をなぐさ(慰)むるにさは(障)りなしとはどういうことか?
きれいな景色は本来誰のものでもないので、遠慮なくたのしむことができる、ということ
「主なけれ⇒持ち主がいない」「さはり(障り=障害)なし」で判断しよう
帰るさには、折につけつつ、桜を狩り、紅葉をもとめ、蕨(わらび)を折り、木の実を拾ひて、かつは仏に奉り、かつは家土産(いえづと)とす。もし夜静かなれば、窓の月に故人を偲び、猿の声に袖をうるほす。草むらの蛍は、遠く槇(まき)の篝火(かがりび)にまがひ、曉の雨は、おのづから木の葉吹く嵐に似たり。山鳥のほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ、峰の鹿の近く馴れたるにつけても、世にとほざかる程を知る。あるいはまた、埋み火(うずみび)をかきおこして、老いの寝覚めの友とす。恐ろしき山ならねば、梟(ふくろふ)の声をあはれむにつけても、山中の景気折につけて尽くることなし。(3)いはむや、深く思ひ、深く知らむ人のためには、これにしも限るべからず。
帰り道は、春には桜狩りをしたり、秋は紅葉拾いをしたり、蕨を折り採ってみたり、木の実を拾ったりもした。それらは仏様へのお供え物になったり、自分の家に持ち帰るお土産になったりもした。
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