Categories: 国語漢文

鴻門之会剣の舞(沛公旦日従百余騎〜)書き下し文原文

項王曰はく、

項王
「此(こ)れ沛公の左司馬曹無傷之を言へり。

然らずんば、籍何を以つてか此に至らん。」と。

項王即日、因りて沛公を留めて与(とも)に飲す。

項王・項伯は東嚮して坐し、亜父は南嚮して坐す。
亜父とは、范増なり。
沛公は北嚮して坐し、張良は西嚮して侍す。
范増数(しばしば)項王に目し、佩(お)ぶる所の玉玦を挙げて、以つて之に示すこと三たびす。
項王黙然として応ぜず。

范増起ち、出でて項荘を召して謂ひて曰はく、

范増
「君王人と為り忍びず。
若入り前(すす)みて寿を為せ。
寿畢(を)はらば、請ひて剣を以つて舞ひ、因りて沛公を坐に撃ちて之を殺せ。 不者(しからず)んば、若が属皆且(まさ)に虜とする所と為らんとす。」と。

荘則ち入りて寿を為す。
寿畢はりて曰はく、

項荘
「君王沛公と飲す。
軍中以つて楽を為すなし。
請ふ剣を以つて舞はん。」と。

項王曰はく、

項王
「諾」と。

項荘剣を抜き起ちて舞ふ。
項伯も亦剣を抜き起ちて舞ひ、常に身を以つて沛公を翼蔽す。
荘撃つことを得ず。

Page: 1 2

コシャリ

This website uses cookies.