スクールカーストという本を読んでみた

著者のアドバイスをまとめると
自分の行動がみんなの価値観や評価につながっているという意識をもった上で、

学校の人間関係は時間が限られているので期間限定で感情をコントロールしよう。
我慢不可能なくらいしんどいなら、違う評価基準のある場所に行こう。
例)勉強で評価される塾など
人間関係に疲れたなら、積極的にどこにも行かずにいよう。
高卒認定もあるし。

となるでしょうか。

学校ほど人間関係が複雑なところはあまりない。
とも言っていますね。

先生に対しては、能力を固定するなと言っています。
こいつは〇〇力があるなどといった言葉は、
生徒に大きな影響があるという認識が必要です。

先生の評価する〇〇力が生徒の価値観に大きく影響する
と言っています。

保護者には学校に行かないという選択肢を持つように言っていますね。

また学級制度を撤廃すべきだとの解決策を提示している識者もいるようです。

制度について問題だと私が思うのは、効率的に評価をする以上、
仕方がない部分があるとは思うのですが、
多くの場合、教師の評価基準は、
学業成績と部活への取り組みに偏っている点ですね。

そして、まるで他の選択肢が全くないかのように
教育や意識付け、或いは洗脳がなされていることではないか
ということにこそ問題があると思っています。

そして、そうした学校生活で落ちぶれたものは落後者として扱われ、
あたかも再起不能かのような印象を持ってしまうし、もたれてしまう。

勝ち組、負け組等にも代表されるように、
~でなければダメ、負けのような多様性のない
価値観の均一化が問題ですよね。

塾講師をしている立場上、
教室で表立って学校の勉強に意味はない
と声を大にして言うことはありませんが、
正直なところ、学校や受験で問われる知識自体に意味はないと思っています。

頭の使い方等には一定の効果があるとは思っていますが。

数学を例にあげれば、因数分解なんて全く使わないし、
日常生活で必要なのは、せいぜい加減乗除の計算と
電話代や電気代に一次関数を使う程度でしょうか。

また、どうせ数学をやるなら、
クレジットカードでリボ払いにした時にどのくらいお金が取られるかや
サラ金に借金をした時の利率の計算など、
本当に差し迫った事態に遭遇した時に
自分の状態を理解できるためのカリキュラムにするべきですね。

以前、金森重樹さんの本で読んで共感しましたが、
小学校~大学或いは専門学校への教育課程は、
政府が効率よく徴税できるサラリーマン、被雇用者
を創出するためのシステムですからね。

本当に国の歳入を増やしたいのなら、消費税あげるよりも
国内だけでなく、海外でもお金を稼げる起業家などの人材を育てる
カリキュラムをつくったり、再起が容易な制度をつくったらいいのに

と思いますが、カリキュラムを決める側にはそういう発想はなかったり
あったとしても何かと障害があるんでしょうね。

とはいえ、制度を変えるのには多くの時間や労力が必要です。
個人で対処するのが現実的になってしまいますね。

他人が何をどういおうと自分はかけがえのない大切な存在だという確信をもつこと、
また同様に他人も大切な存在だという意識をもつこと
人生の手綱、コントロールの主導権は自分にこそあるのだということ、
そしてつまらん人間関係からは身を引くという自由・選択肢は常にあるんだということ

そんな意識をもつことが大事なのではないでしょうか。

会社に雇われていなくても生活している人もいくらでもいます。
検索すれば副業で稼ぎまくっている人だってうじゃうじゃいますよね。

選択肢はいくらでもあるんですよね。

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鈴木 翔
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