スクールカーストという本を読んでみた

いじめの根本的な原因は〇〇〇があるかどうかでは?

いじめに関して言うと、
私の高校は、作務衣で学校にくるような生徒がいるくらい
かなり自由な校風でした。
自主性や個人の尊重が徹底されていたので、
いじめは全くなかったように思います。

もちろん、あいつ調子に乗っているな~とか
やりすぎだな~等々思うことはあったと思います。

席替えで、美人系女子のわがままが許容されていた
シーンに遭遇しましたが、それは階層というよりは、
個人対個人の関係だったように思います。

グループ内での不和やもめごとなどはあったのかもしれません。
しかし、教室全体で無視するなどは皆無でしたね。

まあ、テスト返却の時に、
「どうしよう~あたし絶対赤点だ~」
と言ってた女子が、成績優秀者で呼ばれた時には
教室全員が眉間にしわを寄せて「あ?」という感じになった記憶はありますが。

私の通った公立中学校にはいじめが確実に存在していましたね。

私はギャル集団が一軍なんて思っていませんでしたが、
ギャル集団でも内外の派閥争いや隆盛と凋落とでもいうのでしょうか
そういったゴタゴタは、外から見ていてもはっきりと見て取ることができましたね。

大変だな~とか、あほくさ~と思っていましたが。

10年以上経って思うのは、
いじめがあった中学といじめのなかった高校の最大の違いは、
自尊心があるかないかの違いではないかと思っています。

どれだけ自分を大切に思えるかどうかが
いじめがあるかどうかの分かれ目なのかな、
と思っています。

私の入学した高校は、生徒のプライドが高いんですよね。
まあ、私なんてできないよという人もいましたが、
それは、心の底から自分はできない人間だと思っているわけでは決してなく、
謙遜だったり、失敗した時のための布石だったりするわけですね。

まあなんでもできる、いわゆる全能感をもっているような
勘違い君もいるにはいたように思います。

しかし自尊心・自負心を誰もが持っていたので、
俺なんか何もできないどうしようもない人間だ
と卑屈になったり、自分が価値のない人間だ
と思う人はいなかったのではないかなと思います。

もちろん、人によって得意不得意があるので、
俺は、私は、スポーツは苦手なんだと思う人はいたと思います。
当たり前ですね。

ただ、一応県内でトップクラスの学校だったので、
勉強する習慣はだれもがもっていて、
自分は何かを手に入れるために努力できる人間だ
という意識は誰しもがもっていたのではないかと思います。

先生方も、「君たちは遠からず日本を背負って立つ人間だから」、
なんてしょっちゅう言ってましたしね。

最初は、本当かよ、スケールが大きな話だなと思っていましたが、
何度も聞かされるとその気になってくるものです。

実際に10年以上たった今、日本を背負っているかと聞かれれば、
そんな意識はほとんどないというのが正直な気持ちですが。

実際にどうこうというよりも、そのような
尊重されているという感覚や、
自分の行動を背景とした自負心
が非常に大切なのだと思います。

自分を認めているから、他人も認められる、
そして背景には、自分の行動の結果、
他人から認められている意識からくる自信がある。

そんな関係になっていたのではないかと思います。

というとかなりカッコよく聞こえますが、
実際は、自分の勉強なり目標なりを達成するのに忙しくて
他人なんぞに関心を払っている時間がない、
という方が実態に近いのかもしれません。

また、私自身の記憶もおそらく美化されているので
かなり割り引いて考えなければならないとも考えています。

 

 

生徒と教師のヒエラルキーの捉え方の違い

生徒側からの視点と教師側からの視点が描かれているのは
面白いですね。

階層の捉えかたがまるで違います。

生徒側からは、ヒエラルキーは権力や権利の量の差だと考えているのに対し、
教師側はこれをリーダー性やコミュニケーションの力など、
能力の差だととらえている。

教師側の視点は考えたことがなかったですね。
単に髪を染めたりするのが能力なのか?
とちょっと疑問に思う部分もありますが、

他人に見せたい自分があるかないか、
そして見せたい自分を表現する手段と勇気?をもっているかという点からみて、
大きく自己主張できる能力とくくれば、能力なのかもしれませんね。

ここを読んだ時に、うまく言葉では言い表せなかったのですが、
なんとなく違和感を感じました。

これには、本田由紀さんの解説で、
「地位の上下に対して正当性の裏付けを与えるようにはたら」く
と指摘されていますね。

能力の問題としてとらえれば、
教師の方も何かと都合がよく
さらにその階層を助長する働きがありますね。

また、家庭訪問の経験から、
上位層は教室と家での自分に表裏がないのに対し、
下位層は教室で我慢を強いられているからか、
親に強いという教師の指摘は、うなずけました。

私も経験したことがあります。

クラスメイトのMくんは、
どうも自分を大きく見せたいところがありました。

今振り返ってみると、自信がなかったんだと思いますが、
大きく見せる手段がいつも自力ではなかったですね。

お祭りで多額のこづかいを持ってきて、
何かをおごったりしていたかな。

そのM君の家に遊びに行ったときに、
親に対してずいぶん偉そうなものの言い方をするな
と思ったことを覚えています。

またこれは生徒側、教師側ともに言えることですが、
上位層の特徴は挙げられるのに、下位層の特徴は挙げられない。
これは、下位層が「その他の有象無象」という扱いだからでしょうか。
自己主張しないから目立たないんでしょうか。