運動と言語 運動を言語化する能力

私からするとそんな印象があるんです

つまり対象物と自分があんまり分れて
ないような感じですかね

あの素晴らしい本
『生成と消滅の精神史』っていうのが

書かれていますけれども

この本の中の最後の章
が日本の心のあり方を書かれてるんです
けど

非常にここでの説明も私は腑に落ち
たなと思ってます

コシャリ

英語と日本語の特徴の違いは、特に国際日本を推薦で受験しようという方は、考えておきたいテーマの一つです。

ですのでこれが明確
にというのはないんですけれども

私は言語、どのような言語を扱うかによって
運動様式が少し変わりですね

そのことに
よって競技力等また動きの特徴に影響
するということは十分あるんじゃないかな
という風に思ってます

 

分かりやすいので
言いますと

他者との距離感みたいなもの
ですかね

これ日本に住ん長く住んだ外国人
の人がもう明確に言うのがですね

日本に住んだ途端にあの自分の動きがなんて言う
かこう小さくなるとかですね

コシャリ

これ、すごく面白いですね。

渋谷のスクランブル交差点や、混雑する駅の構内で

ぶつからずに行き来できるのが世界的にはすごいことらしい

という動画を見たことがありますが、

関係しているんでしょうか。

なんかこう
言うんですねま我わかんないですけどね
日本で生まれ育った人だとこの辺も非常に
言語的なものか文化的なものか空気か
分からないですけど影響があるんじゃない
かと思ってます

運動を言葉で表現する、説明する

2点目ですねこれはですね
私は運動を言語的に整理、言葉で整理

運動だ
から言葉で整理するっていうことっ

あの2つあると思ってるんですね

 

自分の運動を言葉で表現するには、体のセンサーが必要

1つは
まず自分の身体に起きてる感覚を掴むこと
それからある動きを構造的にっていうか
この動きとして説明するってこですねで
前者はですねえ

自分の体の中で感じ取る
ものがないとそのヒントが得られにくい
わけですよね

当たり前ですけれどもでこれ
がなんかなんて言うんでしょう

内省感覚
って言うんですけど自分の身体内にある
いろんなセンサーが感じ取ることに影響し
てるだろうと思うんですね

体のセンサー、身体感覚を味わうのが得意でない例

自閉傾向がある子供たちにトレーニング教えた
ことあるんですけど