樊遅が、仁とは何かと質問した。
孔子は、人を愛することだとお答えになった。
また樊遅が、知とはどういうことかと質問した。
孔子は、人を知ることだとお答えになった。
しかし、樊遅が、「人を知る」ということの真意がまだ理解できないようだったので、
孔子はさらに、「真っ直ぐな板を、曲がりくねった
材木の上に載せておくと、いつの間にか、
曲がった材木が真っ直ぐになってしまうという諺があるが
このようにすることが知である」と説明した。
樊遅はよくわからなかったが、孔子の前から辞去した。
兄弟子の子夏に会った時に、「先ごろ、私は先生にお会いして知について質問したら、
先生は『直きを挙げて、これが枉がれるにおけば、能く枉がれるものをして直からしむ』
とおっしゃった。いったいどういう意味でしょうか」と質問した。
子夏は、「さてさて、なんと内容の豊かな言葉だなあ、先生のお言葉は。
昔、舜が天下を治めた時、衆人の中から賢人皐陶を選んで挙げ用いたので、
不仁者は遠のいていなくなった。
また、殷の湯王が天下を治めたとき、
大勢の中から賢人伊尹を選び出してこれを宰相として抜擢したので、
不仁者が遠のいてしまった。
先生が人を知ることをもって知とされたのは、
その人の性質を見極めて、
正しい人間を人の上に立たせるという意味だね」と言った。
うーん朱に交われば赤くなるといいますが、
リーダーが悪に染まることは考えないのですね。
曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く、と。
曾子が言うには、君子たる者は、詩書礼楽の学問をすることで友人を集め、
その学問に志す友人と切磋琢磨し、高めあうことで、
仁徳を涵養(かんよう)する補助にするのである。
以前の記事に書きましたが、
受験生もライバルを見つけて
高めあっていきたいですね。
大学入学後にも学問上のライバルがいた方がいいですが、
大学院に入って研究者になろうとするのでもない限り、
なかなか学問でライバル関係になるのは難しいですね。
「天の下に道有り。丘ために易えず」ー論語のどこにありますか。読み方、意味を教えてください。