理由1では活躍するプレーヤーの将来や業界の発展から見ていましたが、理由2では活躍しにくいプレーヤーや平等という視点からの指摘です。
メインの対象から視点をずらして意見を述べることができないか、英作文や小論文で思いつかないときに使いたい手法ですね。
教育系のお題では平等性というのは重要な観点になります。
例えば、東京外国語大学で出た英文ではアメリカの大学で、人種によって点数に下駄を履かせたりすることがテーマになりましたね。
理由3スポーツは教育よりも娯楽という認識を持つべき
三番目はですねあのまあそもそもスポーツというのは教育より娯楽だからというふうに私は考え教育にも使えますけどスポーツは教育であるっていう言い切る方もいるんですけどまぁスポーツやっぱりやっぱり娯楽なので娯楽と考えた方がいいと思うので
それを教育にも使えるけどばベースは娯楽て子どものスポーツをするっていうのは
なんか学びたい子は学べばいいけど学びたくない子は学ばなくてもいいんじゃないって言う感覚でいるべきかなと思います
スポーツを考えるとき、学校の体育や部活の影響はかなり大きいと思うのですが、明治時代に始まった日本の学校がもともと軍隊の制度をベースにしていることも、
スポーツが娯楽という意識をもちにくいことの一因なのかなと思います。
中学生だとだいたい4月には、ひたすらまわれ右をやらされたりしましたよね?あれは体育嫌いになりそうですよね。
規律に従うというのも、全く不要だとは思いませんが。
また、先輩や後輩、同級生とうまくやったり、組織の中でうまく立ち回る練習だったりと、社会性を培う側面は無視できないかと思います。
スポーツは教育でなくていい
年齢を考えると、スポーツ、部活の教育的側面は当然あると思うのですが、教育と考えてしまっているが故に起こる問題というのは見逃せないですね。
スポーツは娯楽と考えてしまえば、先生が部活の顧問をやる必要はないですし、もっと楽しく専門的に教えられるプロを雇ったほうがみんな幸せになれるのかもしれませんね。
反論処理
さて全国大会を廃止しようという話をするになるとですねあの反論される方ももちろんいらっしゃる違うご意見を持っている方もいるので私なりには賛成なんですか反対意見もよく
わかりますが一応それを反証していくというんですかねやって
全国大会をなくさなくても子どもが自分で選んでやればいいのでは?→子供の意思決定はどこまで有効か
まず第一に全国大会がある弊害はわかるけどそれは子どもが自分でコミットすればいい 選べばいいんだっていう意見があります これは誰しもそう思うんですが子どもが自分で選んで自分で考えて人生を選択していく大事なことだと思うんですが