小論文小学生の全国大会廃止

選手自身を鍛える指導の仕方も入ってくるわけですね

短期でですね小3年生ぐらいで3年間くらいでしかもあんまりそんなに成熟してない子供を育てようと思うとですただパフォーマンスだけを見ようとするとやっぱりこれはいいからやれが一番効くわけですね

変に考えているようにもとには言われた通りやるのがいいんだとって

これは一側面あると思いますね守破離といいましてやっぱり形を最初に覚えなきゃねっていうのはあるんですけどもうん

一方でこれだけをやりすぎるとですね

そもそも自分はなんだこれやってるかよくわかんなくなってくるって言う子ができてきちゃうわけですね

陸上競技やっていったりする方よくご存知だと思いますけどインターハイチャンピオン中学チャンピオンを出す学校とオリンピアンを出す学校ってのは違うことをよくご存知だと思います

それがいわゆる指導のやり方の違いというのですあると思いますけど同世代でも強豪校から来た子はたくさんいましたけどやっぱり自由を与えられると混乱してましたね

自分で考えてやるってやったことはなかったのですごい混乱して何か誰かが正しいあるやり方を教えてくれってなっちゃうところもありまして

やっぱり自分で考える人間は育てなきゃいけないこれはまあ競技を超えた普遍的な能力でもあるのでんそれがつかないって言うなちょっとうまずいんじゃないかなというふうに思います

 

だから将来の競技者としてのパフォーマンスを考えてもそれから競技をこえた一人の人間としてのパフォーマンスを考えてもあんまりいいことがの

若年その時に最適化させるすぎると起きないのでそれはやめたほうがいいんじゃないかなというふうに思います

特にこの領域ですごく悪影響が起きるのはですね

才能がある子ども。こどもに才能あってしまった場合ですね

大人とか先生のが興奮しちゃうってパターンがあるんですね

その子より周りが興奮すると何が起きるかというとその子の主体性がなくなるっていう事がありまして私は早い段階で全国一になったので本当にたくさん
この例を見てきました選手より興奮した顔で大きな声を先生が出している場合はだいたいその子は将来見なくなっちゃうねみたいな感じでまあ私は

ちょっとひねくれた子なんだ冷ややかにそういう状況を見てましたけど本当一番最後に大事なリソースって何かっていうとその競技をやっていうことが楽しいなって思うこととこうやったらもっとうまくなるかなっていう探究心なんですこのエネルギーが枯渇すればやっていること自体に意味がないのでやめちゃうんですねまたやってても義務感なんで結局義務感でやってる人間は夢中でやっている人間に勝てませんから最終的には弱くなっちゃうとこういう問題が起きます