秋田かる
仮廬(かりほ)をつくり
わが居れば
衣手さむく露ぞおきにける (2174)
が変遷して、天智天皇御製となったと考えらえています。
『後撰集』秋「題しらず、天智天皇御製」として登場します。
皇太子時代に大化の改新を行い、母斉明天皇崩御ののち、
都を飛鳥から近江に遷しました。
琵琶湖のほとりの近江大津宮は天智天皇崩御ののち、
672年に起きた壬申の乱のために、灰燼に帰しました。
壬申の乱は、天智天皇の皇子で大友皇子と、
天智天皇の弟で皇太子の地位にあった大海人皇子が皇位継承で争ったものでした。
弟の大海人皇子側が勝利し、敗走した大友皇子は近江山崎で崩じました。
大海人皇子は飛鳥に都を戻し、天武天皇として律令体制に基づく
古代中央集権国家を築きました。
歴代の天皇は天武天皇の皇胤、血統でしたが、光仁天皇で天智の皇統が復活します。
光仁天皇の父、志貴皇子は天智天皇の第七皇子で、
光仁天皇の皇子が桓武天皇で、平城京から、平安京に遷都し、
平安時代が始まることになります。
撰者の藤原定家にとっても、
天智天皇は、尊ぶべき上代の天皇だったのですね。
そのために、第一首にこの歌を持ってきたと考えられています。
しかし、通常天皇や皇太子が田んぼの警備員などするはずもないので、
この歌は天皇を農民の苦労に思いを馳せ、
庶民の苦しみや痛みを解する人物として描いています。
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年代 | 天皇 | 政治経済社会 | 文化 | 世界 |
643年 | 皇極天皇 | 蘇我入鹿 山背大兄王を襲い自害に追い込む | ||
645年 大化1年 | 皇極天皇 | 大化の改新、蘇我入鹿暗殺=乙巳の変 難波宮遷都 | ||
646年 大化2年 | 孝徳天皇 | 改新の詔 | ||
658年 | 斉明天皇 | 阿倍比羅夫 蝦夷をうつ | 60百済滅亡 | |
663年 | 〈天智〉 | 白村江の戦い | ||
667年 | 〈天智〉 | 近江大津宮へ遷都 | 68高句麗滅亡 | |
670年 | 天智天皇 | 庚午年籍をつくる | 70法隆寺火災 | |
672年 | 壬申の乱 | 76新羅、半島統一 |
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